07-03 謝初封安郷侯表

07-03 謝初封安郷侯表  初めて安郷侯に封ぜられしに謝する表

【解題】
安郷侯に封ぜられたばかりの時に謝意を述べた上表文。曹植は、臨淄侯であった黄初二年(二二一)、監国謁者潅均によってその不埒な言動が摘発され、役人たちは取り調べて処罰するよう求めたが、同母兄である文帝曹丕はそれを回避し、安郷侯への貶謫にとどめた(『三国志(魏志)』巻十九・陳思王植伝)。詳細は、[08-03 写灌均上事令]の解題に記した。また、内容に関しては、[04-19-1 責躬 有表]を併せて参照されたい。『藝文類聚』巻五十一所収。

臣抱罪即道、憂惶恐怖、不知刑罪当所限斉。陛下哀愍臣身、不聴有司所執、待之過厚、即日於延津受安郷侯印綬。奉詔之日、且懼且悲。懼於不修、始違憲法、悲於不慎、速此貶退。上増陛下垂念、下遺太后見憂。臣自知罪深責重、受恩無量、精魄飛散、忘躯殞命。

臣は罪を抱へて道に即き、憂惶恐怖して、刑罪の限斉する所に当たるを知らず。陛下は臣が身を哀愍し、有司の執る所を聴かず、之を待すること過ぎて厚く、即日 延津に於いて安郷侯の印綬を受く。奉詔の日、且つ懼れ且つ悲しむ。修めずして、始めて憲法に違へるを懼れ、慎まずして、此の貶退を速(まね)くを悲しむ。上は陛下の垂念を増し、下は太后の憂へらるるを遺(のこ)す。臣は自ら 罪の深く責の重きも、恩を受くること無量なるを知り、精魄飛散して、躯を忘れ命を殞(お)とさんとす。

【通釈】
わたくしは罪を抱えて洛陽に上る道に就き、おどおどと恐れおののいて、自分の受ける処罰の具体的な範囲が分からない、不安定な状態でした。陛下はそんなわたくしの身を不憫に思ってくださって、役人の判決を聴かず、過分に厚遇してくださって、即日わたくしは延津で安郷侯の印綬をいただいたのでした。詔を奉った日、恐れと悲しみとが交互に胸に去来しました。身を修めずに、陛下に始めて国家のおきてに背かせることとなったことを恐懼し、慎みを持たずに、この貶謫を招き寄せたことが悲しかったのです。上は陛下に重ねてご配慮いただき、下は皇太后様にいつまでもご心配をおかけすることとなりました。わたくしは自身の罪深さと重責に比して、受けた御恩の無限であることを自覚して、魂は飛散し、心身ともに消え失せんばかりの気持ちです。

【語釈】
○臣抱罪即道 解題に示したとおり、曹植は監国謁者潅均の摘発により、罪人として洛陽(河南省)に出頭することとなった。「即道」は、臨淄(山東省)から上京の途に就いたことをいうだろう。
○憂惶 気に病み、おどおどする。
○当 ある罪状に相当する。処罰が決定するの意。
○限斉 境界を区切る。「斉」も「限」と同義。『孔子家語』曲礼子貢問に「有亡、悪乎斉(有亡、悪くにか斉あらん)」、王粛注に「斉、限(斉は、限なり)」と。
○延津 今の河南省新郷市の東、黄河のほとり。
○安郷 今の河北省無級県の東南に位置する集落。
○且…且… ……したり、……したりする。
○速 招き寄せる。たとえば、『毛詩』召南「行露」に「何以速我獄(何を以てか我を獄に速く)」、毛伝に「速、召(速とは、召すなり)」と。
○垂念 気遣ってくださる。
○太后 曹丕・曹植の母である卞太后。
○精魄飛散 「精魄」は、たましい。一句の類似表現として、『三国志(魏志)』巻十一・管寧伝に「受詔之日、精魄飛散、靡所投死(詔を受くる日、精魄は飛散するも、投死する所靡し)」、同巻八・公孫度の裴松之注に引く『魏書』に、公孫淵が景初元年七月己卯(八月十五日)に発布された詔書を読んで「精魄散越、不知身命所当投措(精魄散越し、身命の当に投措すべき所を知らず)」と。常套的な表現なのかもしれない。
○忘躯 肉体を亡失する。「忘」は、しばしば「亡」に通じて用いられる。