曹植「雑詩」という作品群(承前)

こんばんは。

以前(2020.06.23)に述べた考察の続きです。

昨日、現存する曹植「雑詩」九首をひととおり読み終わりました。
すなわち、『玉台新詠』巻2所収「雑詩五首」に、
『文選』巻29所収「雑詩六首」の其一・二・五・六を加えた九首です。

『玉台新詠』の編者徐陵が目睹した一次資料では、
この九首は、「雑詩」として括られる作品群に含まれていたでしょう。

では、「雑詩」という作品群は、曹植自身がそのような括り方をしたのか、
それとも、後世の人がそのように編集したのでしょうか。
これはわかりません。

ですが、これらの作品が同時期の作か、
それとも、様々な機会に作られた無題詩をまとめたものであるのか、
これは、前者の方だと判断できるように思いました。

その根拠は、表現の分析を通して詰めていった、一首一首の詩の成立背景です。
個別具体的なところは訳注稿や最近の雑記を見ていただくとして、
今、その大まかな主題だけを提示します。

「高台多悲風」……親しい人との途絶の悲しみ
「転蓬離本根」……故郷を離れて各地を転々とする寄る辺なさ
「西北有織婦」……遠方へ赴いた人への強い思慕
「南国有佳人」……才能を発揮できない不遇への嘆き
「僕夫早厳駕」……孫呉への出征に対する強い意欲
「飛観百餘尺」……孫呉出征が叶わないことへの焦燥感
「明月照高楼」……遠方を旅する夫への満たされぬ思慕の情
「微陰翳陽景」……故郷を離れて遠方を旅する者の悲しみ
「攬衣出中閨」……夫との離別を悲しみ、愛の復活を希求する妻の心情

①④は、曹彪(後の白馬王、当時は呉王)への思いを、
③⑦は、兄である文帝曹丕への思いを詠じたものだと見ることができます。
⑤⑥は、呉への出征志願を以て罪を贖いたいと詠ずる「責躬詩」と重なる内容です。
⑧からは、引用された『詩経』の解釈を通して、亡くなった兄曹彰に対する追悼の念が読み取れ、
⑨は、踏まえられた『詩経』『楚辞』の分析により、詩中の夫は曹丕なのだと判断されます。

こうしてみると、曹植の「雑詩」は、黄初四年(223)頃の作だとするのが最も妥当です。
この年の五月、曹植は兄の曹彰や弟の曹彪とともに洛陽に上り、曹彰が急死、
七月、領国に帰還する途中、曹彪との同宿が咎められるという一連のことが起こりました。
(『文選』巻24「贈白馬王彪」李善注に引く『集』所収の曹植自らによる序文)

そのような緊迫した状況の中、
短期間で集中的に作られたのがこの作品群ではないかと考えるのです。

もっとも、②の詩は、曹魏王朝の諸王が恒常的に置かれていた境遇を詠じていますが、
黄初四年もそれに該当しないわけではありません。

「雑詩」は、一見その主題にはばらつきがあります。
ですが、その成立背景には一筋の太い流れを読み取ることができます。
「雑詩」は、ある特殊な状況下で、詩人が敢えて選び取った文体なのだと言えそうです。

『文選』李善注は、「雑詩六首」のすべてを、洛陽から鄄城に帰国して以降の作と見ていました。
この説の当否について、長いこと矯めつ眇めつしていたのでしたが、
今は、やはり李善の指摘は至当であったと思っています。

2020年7月11日