04-14 贈丁廙

■04-14 贈丁廙  丁廙に贈る

【解題】
「丁廙」(?―220)は、沛郡の人。丁翼とも記す。父の丁沖と曹操とのつながりについては、「贈丁儀」(04-10)の解題を参照。丁廙は兄の丁儀とともに、曹操の後継者として曹植を強く推し、曹丕が魏王となった延康元年(220)、ともに殺害された(『三国志(魏志)』巻19・陳思王植伝、及びその裴松之注に引く『魏略』『文士伝』)。本作品は、宴席において、この腹心である丁廙に贈った詩。『文選』巻24所収。『藝文類聚』巻39、『北堂書鈔』巻82にも、「与丁廙詩」と題してその一部を引く。

嘉賓填城闕  嘉賓 城闕に填(み)ち
豊膳出中厨  豊膳 中厨より出づ
吾与二三子  吾は二三子と与(とも)に
曲宴此城隅  此の城隅に曲宴す
秦箏発西気  秦箏は西気を発し
斉瑟揚東謳  斉瑟は東謳を揚ぐ
肴来不虚帰  肴の来りては虚しくは帰らず
觴至反無餘  觴の至りては反すに餘(あま)す無し
我豈狎異人  我 豈に異人に狎(な)れんや
朋友与我倶  朋友 我と倶にあり
大国多良材  大国には良材多く
譬海出明珠  譬ふれば海の明珠を出すがごとし
君子義休偫  君子は 義 休(うるはし)く偫(そなは)り
小人徳無儲  小人は 徳 儲(たくは)ふる無し
積善有餘慶  善を積めば餘慶有り
栄枯立可須  栄枯 立ちどころに須(ま)つ可し
滔蕩固大節  滔蕩たるは固より大節なり
世俗多所拘  世俗は拘(こだは)る所多し
君子通大道  君子は大道に通ず
無願為世儒  世儒と為らんことを願ふ無かれ

【押韻】厨・隅・謳・倶・珠・須・拘・儒(上平声10虞韻)、餘・儲(上平声09魚韻)。
※謳の韻は、『集韻』による。『広韻』では下平声19侯韻。

【通釈】
立派な賓客たちが宮殿を埋め尽くし、厨房の中からは素晴らしい食膳が運び出されている。私は気心知れた二三の友人たちと、この宮城の片隅で内輪の酒宴を設ける。秦の筝は西方の音色を華やかに奏で、斉の瑟は東方の国ぶりの歌を盛り上げる。料理が出てくれば手をつけずに帰ることはせず、酒杯が巡ってくれば残らず飲み干して返杯するのだ。私はどうして関係のない人々に馴れ親しんだりするものか。古なじみの友人たちが私とともにいるのだ。大国には良き人材が多く現れ、それはさながら海が真珠を生み出すようなものだ。君子は人として踏み行うべき義を立派に備え、小人は徳を内に蓄えることがない。善行を積めば必ず余沢に恵まれるもので、待っていれば、栄枯盛衰はたちどころにしかるべきところへ落ち着くはずだ。ゆったりと広やかな精神を保つことこそ、本来は大いなる節義に合致するものなのに、世俗の者たちは些細な事に拘泥しすぎる。君子は大道に通じているものだ。俗っぽい儒者になろうなどと願ってはならぬ。

【語釈】
○嘉賓 宴席に集う立派な賓客たち。『毛詩』小雅「鹿鳴」に「我有嘉賓、鼓瑟吹笙(我に嘉賓有り、瑟を鼓し笙を吹く)」と。
○城闕 宮城の門。ここでは宮殿をいう。
○中厨 厨房の中。
○吾与二三子 『論語』述而にいう「子曰二三子、以我為隠乎。吾無隠乎爾。吾無所行而不与二三子者、是丘也(子曰く、二三子よ、我を以て隠せりと為すや。吾は爾(なんぢ)らに隠すこと無し。吾は行ふとして二三子と与にせざる所無き者なり、是れ丘なり、と)」を踏まえ、身近な者たちとの親密な信頼関係を表現する。
○曲宴 宮中で私的に設けられた宴席。ここでは曹植が主催する宴。
○城隅 宮城の片隅。一句目の「城闕」に対比させていう。
○秦箏 秦国の蒙恬に由来すると言われる五弦の楽器(『風俗通義』声音)。
○斉瑟 斉国で華やかに演奏される大型の琴。『史記』巻69・蘇秦列伝に、蘇秦が斉の宣王を説得する中で、斉国臨菑の人々の、竽・瑟・琴・筑を演奏し、闘鶏走狗、六博蹋鞠に打ち興じる豊かな暮らしぶりに言及している。前句の「秦箏」とともに、「箜篌引」(05-01)にも「秦箏何慷慨、斉瑟和且柔(秦箏 何ぞ慷慨たる、斉瑟 和にして且つ柔なり)」と見える。
○東謳 「謳」は、斉の歌。斉の国は東方に位置する。
○我豈狎異人・朋友与我倶 「異人」は、自分とは関係のない人。『毛詩』小雅「頍弁」にいう「爾酒既旨、爾殽既嘉。豈伊異人、兄弟匪他(爾(そ)の酒は既に旨(うま)く、爾の殽(さかな)は既に嘉(よ)し。豈に伊(こ)れ異人ならんや、兄弟にして他に匪(あら)ず)」を踏まえつつこれをねじる。すなわち、ここで宴席を共にしているのは「朋友」であって、『毛詩』にいう「兄弟」ではない。「朋友」は、『毛詩』小雅「伐木」小序に「伐木、燕朋友故旧也。……親親以睦、友賢不棄、不遺故旧、則民徳帰厚(伐木は、朋友故旧を燕するなり。……親を親しみて以て睦み、賢を友として棄てず、故旧を遺(わす)れざれば、則ち民徳は厚きに帰す)」と見えている。
○大国多良材 「大国」は、魏国を指す。建安二十一年(216)、後漢の献帝は、曹操の爵位を魏公からを魏王に進め、魏王国は後漢王朝と並存する関係となった。また、これに伴い、曹丕は太子という名称で後継者に定められた。以上は青木龍一氏(現東京大学大学院特別研究員)の指摘による。
○譬海出明珠 為政者のもとに集まる逸材を、海から採れる真珠に喩える例として、『韓詩外伝』巻6に、船人の盍胥が人材登用について晋の平公に語った話の中に「夫珠出於江海、玉出於昆山(夫れ珠は江海より出で、玉は昆山より出づ)」と。本詩の表現により近いものとしては、『文選』李善注に引く『礼斗威儀』に「其君乗金而王、則江海出大貝明珠(其の君 金に乗じて王となれば、則ち江海は大貝明珠を出だす)」と。類似句は、『太平御覧』巻802その他に引く同書にも見える。安居香山・中村璋八編『重修緯書集成』巻3(明徳出版社、1971年)74頁を参照。また、『白虎通』封禅にも、泰平の世の到来を示す瑞祥として「徳至淵泉、則黄竜見、……江出大貝、海出明珠(徳の淵泉に至らば、則ち黄竜見はれ、……江は大貝を出だし、海は明珠を出だす)」と。
○積善有餘慶 『易』坤卦の文言伝にいう「積善之家、必有餘慶、積不善之家、必有餘殃(善を積むの家には、必ず餘慶有り、不善を積むの家には、必ず余殃有り)」を踏まえる。
○滔蕩 水が広々と漲るように、心がゆったりと安定しているさま。双声語。たとえば『淮南子』精神訓に、真人のあり様を描写して「使神滔蕩而不失其充、日夜無傷而与物為春(神をして滔蕩として其の充を失はしめず、日夜無傷にして物と春を為す)」と。
○世俗多所拘 世俗の人士のせせこましさをいう。『淮南子』原道訓に「夫井魚不可与語大、拘於隘也。夏虫不可与語寒、篤於時也。曲士不可与語至道、拘於俗、束於教也(夫れ井魚は与に大を語る可からず、隘に拘はればなり。夏虫は与に寒を語る可べからず、時に篤(もっぱら)なればなり。曲士は与に至道を語る可からず、俗に拘はり、教に束(しばら)るればなり)」と。
○世儒 世俗の儒者。前掲注『淮南子』原道訓にいう「曲士」と同類。