5-37 盤石篇
5-37 盤石篇 盤石篇
【解題】
危険を冒して進みゆく船旅の有り様を詠じた楽府詩。『楽府詩集』巻六十四、『詩紀』巻十三所収。『文選』巻十二、木華「海賦」の李善注に「蚌蛤」以下の二句を引き、楽府題を「斉瑟行」に作る。曹植の他の作品では、「白馬篇」(05-08)、「名都篇」(05-09)、「美女篇」(05-12)が「斉瑟行」とされている。「斉瑟」は、斉国で華やかに演奏される大型の琴。「贈丁廙」(04-14)の語釈を参照。
盤石山巓石 盤石なり 山巓の石、
飄颻澗底蓬 飄颻たり 澗底の蓬。
我本泰山人 我は本 泰山の人なるに、
何為客淮東 何為れぞ淮東に客たる。
蒹葭弥斥土 蒹葭 斥土に弥(あまね)く、
林木無芬重 林木 芬重なる無し。
岸巖若崩缺 岸巖 崩れ缺(か)くるが若し、
湖水何洶洶 湖水 何ぞ洶洶たる。
蚌蛤被濱涯 蚌蛤 濱涯を被ひ、
光采如錦虹 光采 錦虹の如し。
高波凌雲霄 高波は雲霄を凌ぎ、
浮気象螭竜 浮気は螭竜に象(に)たり。
鯨脊若丘陵 鯨の脊は丘陵の若く、
鬚若山上松 鬚は山上の松の若し。
呼吸呑船欐 呼吸すれば船の欐(はり)を呑み、
澎濞戯中鴻 澎濞 戯れて鴻に中(あ)てる。
方舟尋高価 方舟もて高価なるを尋ね、
珍宝麗以通 珍宝 麗(つ)きて以て通(いた)る。
一挙必千里 一たび挙がれば必ず千里、
乗颸挙帆幢 颸に乗じて帆幢を挙ぐ。
経危履険阻 危きを経 険阻なるを履(ふ)み、
未知命所鍾 未だ命の鍾(あつ)まる所を知らず。
常恐沈黄壚 常に恐る 黄壚に沈み、
下与黿鼈同 下 黿鼈と同じくあらんことを。
南極蒼梧野 南のかた蒼梧の野を極め、
游眄窮九江 游眄して九江を窮む。
中夜指参辰 中夜 参辰を指さして、
欲師当定従 欲す 師の 従ふところを定むるに当たるを。
仰天長太息 天を仰ぎて長太息し、
思想懐故邦 思想して故邦を懐ふ。
乗桴何所志 桴(いかだ)に乗りて何の志す所ぞ、
吁嗟我孔公 吁嗟(ああ) 我が孔公よ。
【押韻】蓬・東・虹・鴻・通・同・公(上平声01東韻)、重・洶・竜・松・鍾・従(上平声03鍾韻)、幢・江・邦(上平声04江韻)。
【通釈】
どっしりと根をおろす山頂の石、ひらひらと翻る谷底の蓬。私はもと泰山の人間であるのに、どういうわけで淮水の東をさまよう身となったのか。塩気を含んだ土地にヒメヨシがはびこり、そこには芬芬と香気を放つ樹木の繁茂も見られない。岸壁の岩石は崩れて欠け落ち、湖水のなんとどうどうと激しく打ちつけていることか。カラスガイやハマグリは水辺を覆い尽くし、その輝きはまるで鮮やかな錦の虹のようだ。高波が大空を凌いでしぶきを上げ、蜃気楼が蛟や竜のような形を取って現れる。鯨の背は丘陵のようで、口ひげは山上の松のようだ。呼吸すれば船の梁を飲み込み、激しくぶつかり合う水が、飛ぶ鴻に戯れかかる。私は船を二艘連ねて貴重な品々を探し求め、すると世にも珍しい宝物が次々と到来する。一たび飛び立てば必ず千里、突風に乗って帆や旗を挙げるのだ。危うい険しい難所を越えてゆき、いまだ生きた心地もしない。いつも恐れているのは、黄泉の国に沈み、地下の世界で大きなすっぽんと共に過ごすようになることだ。南は蒼梧の野の果てまでも心を飛ばし、視線を遠く左右に流して九江を見極める。夜中には参星や商星を指さして、行く先を見定める指標としよう。天を仰いで長くため息をつき、故郷への恋慕をつのらせる。いかだに乗って、どこへ向かおうというのか。ああ、我が孔公よ。
【語釈】
○盤石 どっしりとした岩。安定感のあることの喩え。『漢書』巻四・文帝紀に記す宋昌の進言に、「高帝王子弟、所謂盤石之宗也(高帝は子弟を王とし、所謂盤石の宗なり)」と。
○飄颻澗底蓬 「飄颻」は、ひらひらと風にひるがえる。畳韻語。「蓬」とともに用いられている例として、「雑詩六首」其二(04-05-2)に「転蓬離本根、飄颻随長風(転蓬 本根を離れ、飄颻として長風に随ふ)」と。寄る辺なく風に舞う「蓬」は、「吁嗟篇」(05-25)にも描かれている。『説苑』敬慎に、祖国を捨てて斉に出奔した魯の哀公が、過去の非を悔いつつ、自らの有り様を喩えて「是猶秋蓬悪於根本而美於枝葉、秋風一起、根且抜矣(是れ猶ほ秋蓬の根本を悪くして枝葉を美しくし、秋風一たび起こらば、根は且(まさ)に抜けんとするがごとし)」と。
○我本泰山人、何為客淮東 「泰山」は魯の領土内にある山、「淮東」は斉が位置した山東半島一帯を指すと見ることができるか。それならば、この両句は前掲『説苑』敬慎に記された魯の哀公の足跡に重なる。
○蒹葭 ヒメヨシ。『毛詩』秦風「蒹葭」にいう「蒹葭蒼蒼、白露為霜。所謂伊人、在水一方。遡洄従之、道阻且長(蒹葭蒼蒼たり、白露は霜と為る。所謂伊の人、水の一方に在り。遡洄して之に従はんも、道は阻しく且つ長し)」を踏まえ、思いを寄せる人との隔絶を象徴する。
○斥土 塩分の多い土地。『尚書』禹貢に「海岱惟青州。……厥土白墳、海浜広斥(海・岱は惟れ青州なり。……厥の土は白墳にして、海浜は広斥なり)」、『経典釈文』に「『説文』云、東方謂之斥、西方謂之鹵。鄭云、斥謂地鹹鹵(『説文』に云ふ、東方は之を斥と謂ひ、西方は之を鹵と謂ふ。鄭(鄭玄注『尚書』九巻)云ふ、斥は地の鹹鹵なるを謂ふ)」と。
○芬重 樹木が芬芬と香気を放って繁茂すること。宋本、『楽府詩集』、『詩紀』は「分」に作る。余冠英『三曹詩選』(人民文学出版社、一九五六年)はこれに従い、「分」は「紛」に同じとする。
○湖水何洶洶 「洶洶」は、水の湧き起こるさま。たとえば、宋玉「高唐賦」(『文選』巻十九)に「濞洶洶其無声兮潰淡淡而並入(濞洶洶として其れ声無く潰淡淡として並び入る)」と。なお、余冠英は「湖」字を「潮」の誤りではないかと見る。
○蚌蛤被濱涯、光采如錦虹 「蚌蛤」は、カラスガイとハマグリ。『呂氏春秋』季秋紀、精通に「月望則蚌蛤実、群陰盈。月晦則蚌蛤虚、群陰虧(月望なれば則ち蚌蛤実となり、群陰盈つ。月晦なれば則ち蚌蛤虚となり、群陰虧く)」と。
○高波凌雲霄 「波」字、底本は「彼」に作る。宋本以下の諸本も同じ。おそらくは字形の類似による誤り。今、朱緒曾『曹集考異』巻六に従って改める。
○鯨脊若丘陵、鬚若山上松 鯨の巨大さについて、曹操「四時食制」に「東海有大魚如山、長五六里、謂之鯨鯢。……其鬚長一丈、広三尺、厚六寸(東海に大魚の山の如き有り、長さ五六里、之を鯨鯢と謂ふ。……其の鬚は長さ一丈、広さ三尺、厚さ六寸)」と。
○澎濞戯中鴻 「澎濞」は、水が沸き立ち、ぶつかり合うさま。双声語。「中」は、当てるの意。
○方舟 舟を二艘並べた大夫の乗り物。『爾雅』釈水に、天子、諸侯の乗る舟に続けて「大夫方舟」、郭璞注に「併両船(両船を併ぶ)」と。
○一挙必千里 『史記』巻五十五・留侯世家に引く漢の高祖の楚歌に、「鴻鵠高飛、一挙千里(鴻鵠高く飛び、一挙千里」、『韓詩外伝』巻六、晋の平公に対する船人盍胥の科白に「夫鴻鵠一挙千里、所恃者六翮爾(夫れ鴻鵠は一挙千里、恃む所は六翮のみ)」と。類似表現が、「与楊徳祖書」(08-15)に「然此数子猶復不能飛軒絶跡、一挙千里(然れども此の数子は猶ほ復た飛軒もて跡を絶ち、一挙して千里なること能はず)」と見える。
○帆幢 黄節の説くように、「幢」は、橦(はたざお)の誤りか。「帆」「橦」を組み合わせて用いる例として、晋の木華「海賦」(『文選』巻十二)に「決帆摧橦(帆を決し橦を摧く)」と。
○不知命所鍾 「鍾」は、かたまり集まる。精気の凝集するところが分からない、つまり、生きた心地がしないことをいうか。
○常恐沈黄壚 「黄壚」は、黄泉の国にあるという壚山。『淮南子』覧冥訓に「上際九天、下契黄壚(上は九天に際し、下は黄壚に契す)」、『文選』李善注に引く高誘注に「泉下有壚山(泉下に壚山有り)」と。ここでは黄泉とほぼ同義。
○黿鼈 大型のすっぽん。地下世界で大地を支える鼇のことか。大亀が地上を支えているという古代思想は、『楚辞』天問にも「鼇載山抃(鼇は山を載せて抃ず)」と見える。曽布川寛『崑崙山への昇仙:古代中国人が描いた詩語の世界』(中公新書、一九八一年)一一九―一二五頁、出石誠彦『支那神話伝説の研究(増補改訂版)』(中央公論社、一九七三年)収載「上代支那の「巨鼇負山」説話の由来について」(初出は、一九三三年八月市村博士古稀記念「東洋史論叢」)を参照。
○蒼梧 現在の広西壮族自治区。前漢武帝の元鼎六年(前一一一)、越の地を平定して設置された九つの郡のひとつ(『漢書』巻六・武帝紀、巻二十八下・地理志下)。相和「東光乎」にも詠じられている。
○游眄 視線を流して広く眺めわたす。底本は「游盼」に作る。おそらくは字形の類似による誤り。今、宋本、『楽府詩集』に従って改める。
○九江 現在の安徽省で、淮水と長江の間にある地域。『続漢書』郡国志四に、揚州に属する地として九江郡を録する。『三国志(魏志)』巻一・武帝紀の裴松之注に引く『魏武故事』所載の「己亥令」に「袁術僭号于九江(袁術は九江に僭号す)」と。『尚書』禹貢に「九江孔殷(九江 孔(はなは)だ殷(あた)る)」と。
○中夜指参辰 「中夜」は、夜中。「参」は、西南方向に位置する星、「辰」は東方に位置する商星をいう。『淮南子』斉俗訓に「夫乗舟而惑者、不知東西、見斗極則窹矣(夫れ舟に乗りて惑ふ者は、東西を知らざれども、斗極を見れば則ち寤(さと)る)」と。ここは「斗極(北斗七星と北極星)」ではないが、東西の方角を示す星々として「参辰」を捉えておく。
○欲師当定従 未詳。星々を、自身が従ってゆく方向を見定めるための導師としたいとの意か。
○仰天長太息 「仰天」と「太息」とを併せて用いる例として、たとえば『史記』巻六十九・蘇秦列伝に「於是韓王勃然作色、攘臂瞋目、按剣仰天太息曰(是に於いて韓王は勃然として色を作し、臂を攘(まく)り目を瞋(いから)せ、剣を按(おさ)へ天を仰ぎて太息して曰く)」、同巻八十六・刺客列伝(荊軻)に「於期仰天太息流涕曰(於期は天を仰ぎて太息し涕を流して曰く)」、『呉越春秋』勾践入臣外伝に「越王仰天太息、挙杯垂涕、黙無所言(越王仰天太息、挙杯垂涕、黙無所言)」と。「太」字、底本は「歎」に作る。今、宋本、『楽府詩集』に従って改める。
○思想 思いを寄せる。同時代の用例として、曹操「厥初生・精列」(『宋書』巻二十一・楽志三)に「思想崐崘居(崐崘の居を思想す)」、應璩「与侍郎曹長思書」(『文選』巻四十二)に「足下去後、甚相思想(足下去りて後、甚だ相思想す)」と。
○乗桴何所志、吁嗟我孔公 「孔公」を先導者に、「我」を子路に見立てて、今後の行方を問いかける。『論語』公冶長に「子曰、道不行、乗桴浮于海。従我者其由与。子路聞之喜。孔曰、由也好勇過我、無所取材(子曰く「道行はれずんば、桴に乗りて海に浮かばん。我に従ふ者は其れ由ならんか」と。子路は之を聞きて喜ぶ。孔曰く「由や勇を好むこと我に過ぐるも、材を取る所無し)」とあるのを踏まえる。「吁嗟」は、感嘆詞。