04-19-0 上責躬応詔詩表
■04-19-0 上責躬応詔詩表 「躬を責む」「詔に応ず」の詩を上(たてまつ)る表
【解題】
「責躬」(04-19-1)、「応詔」(04-08)の二首の詩を奉る際に添えられた上表文。『文選』巻20は「上責躬応詔詩表」「責躬詩一首」「応詔詩一首」と続けて収載する。『三国志(魏志)』巻19・陳思王植伝は「黄初四年、徙封雍丘王。其年朝京都。上疏曰(黄初四年(223)、封を雍丘王に徙(うつ)さる。其の年 京都に朝す。上疏して曰く)」として上表文を引き、続けて「献詩二篇」として『文選』所収の「責躬詩」「応詔詩」各一首を引く。
臣植言。臣自抱釁帰藩、刻肌刻骨、追思罪戻、昼分而食、夜分而寝。誠以天網不可重罹、聖恩難可再恃、窃感相鼠之篇、無礼遄死之義、形影相弔、五情愧赧。以罪棄生、則違古賢夕改之勧、忍垢苟全、則犯詩人胡顔之譏。
伏惟陛下徳象天地、恩隆父母、施暢春風、沢如時雨。是以不別荊棘者、慶雲之恵也、七子均養者、鳲鳩之仁也、舎罪責功者、明君之挙也、矜愚愛能者、慈父之恩也。是以愚臣徘徊於恩沢、而不敢自棄者也。
前奉詔書、臣等絶朝、心離志絶、自分黄耇永無執圭之望。不図聖詔、猥垂歯召。至止之日、馳心輦轂、僻処西館、未奉闕庭。踊躍之懐、瞻望反側、不勝犬馬恋主之情。謹拝表、并献詩二首。詞旨浅末、不足采覧、貴露下情、冒顔以聞。臣植誠惶誠恐。頓首頓首、死罪死罪。
臣植言ふ。臣は釁(とが)を抱きて藩に帰りし自(よ)り、肌に刻み骨に刻みて、罪戻を追思し、昼分にして食し、夜分にして寝ぬ。誠に天網は重ねて罹る可からず、聖恩は再びは恃む可きこと難しと以(おも)ひ、窃(ひそ)かに相鼠の篇の、礼無くんば遄(すみや)かに死せよの義に感じ、形影相弔(あはれ)み、五情愧赧す。罪を以て生を棄つれば、則ち古賢が夕改の勧めに違ひ、垢(はぢ)を忍んで苟(かりそ)めに全うせば、則ち詩人が胡顔の譏(そし)りを犯す。
伏して惟ふに陛下 徳は天地を象り、恩は父母よりも隆(たか)く、施しは春風のごとく暢び、沢は時雨の如し。是を以て荊棘を別(わ)けざるは、慶雲の恵みなり、七子をば均しく養ふは、鳲鳩の仁なり、罪を舎(ゆる)し功を責むるは、明君の挙なり、愚を矜(あは)れみ能を愛するは、慈父の恩なり。是を以て愚臣は恩沢を徘徊し、而して敢へて自ら棄てざる者なり。
前に詔書を奉(う)けて、臣等は朝するを絶たれ、心は離れ志は絶えて、自ら黄耇まで永く執圭の望み無きを分とす。図らず 聖詔ありて、猥(ま)げて歯召を垂れんとは。至止の日、心を輦轂に馳せ、西の館に僻処して、未だ闕庭に奉ぜず。踊躍の懐ひもて、瞻望し反側し、犬馬の主を恋ふるの情に勝へず。謹んで拝表し、并せて詩二首を献ず。詞旨は浅末にして、采覧せらるるに足らざるも、下情を露(あらは)さんことを貴(ねが)ひ、顔を冒して以て聞す。臣植 誠に惶(おそ)れ誠に恐る。頓首頓首、死罪死罪。
【通釈】
臣下たる植が申し上げます。わたくしは罪の嫌疑をかけられたまま藩国に帰ってから、骨身に刻み付けて罪を思い起こし、真昼になって始めて食事をし、夜中になってやっと就寝するといった有様でした。誠に、国法という天網に重ねて掛かってはならないし、陛下の恩に二度までもすがることは許され難いものと存じ、ひそかに「相鼠」の詩篇にいう「無礼なる者はすみやかに死すべし」の意味を痛感しまして、自身の体と影とが哀れみあう孤独の中、五情すべてを挙げて恥じ入っておりました。とはいえ、罪があるからといって生を投げ出しては、古の賢者の「朝に過ちを犯しても、夕方に改めるならば許そう」という励ましに背くこととなり、かといって、恥を忍んで生を全うすれば、『詩経』の詩人がいう「どの面下げて生き長らえているのか」という批判に晒されることになります。
伏して思いますに、陛下におかれては、その徳は天地のように揺るぎなく、恩は父母よりも高く、施しは春風のように暢びやかで、恵みは時宜に適(かな)った雨のようです。ですから、荊棘のような邪魔者をも差別しないで潤すのは慶雲の恵みであり、七羽の子を分け隔てなく養うのは鳲鳩(カッコウ)の仁愛であり、罪を赦し働きを求めるのは明君の挙用であり、愚か者を憐れみ能力ある者を愛するのは慈父の恩愛です。ですから、愚臣は陛下の恩沢の周囲を未練たっぷりにうろつき、自分を見捨てることはできなかったのです。
先に詔書を拝受して、臣等は朝謁の道を絶たれ、思いは陛下から遠く隔てられて、自分としては、老人となるまでずっと、圭を手にして朝会に参列する望みはないものと諦観しておりました。ところが思いがけなくも聖なる詔が下され、かたじけなくも正式の招聘を賜りました。都に到着した日、御車のもとに心を馳せましたが、隅の西の館に身を置いて、未だ宮殿へ参上することが許されず、躍り上がらんばかりの気持ちで、陛下をはるかに仰ぎ見ては、思い悩むあまり寝付かれず寝返りを打つばかりで、犬や馬が主人を恋慕するに等しい心情に堪えられません。謹んで上表文を奉り、併せて詩二首を献上いたします。言葉の趣旨は浅薄で、取り上げてご覧いただくほどの価値もございませんが、つまらぬ者の心情を言い表したいと願い、向う見ずにも申し上げる次第です。わたくし植、誠に恐れ畏まり、ぬかずき、死罪に当たる妄言を申し上げます。
【語釈】
○臣自抱釁帰藩 『文選』李善注に引く『(曹)植集』に、「植抱罪、徙居京都、後帰本国(植は罪を抱きて、居を京都に徙し、後に本国に帰る)」と。「釁」は、罪の兆しとなる隙。『春秋左氏伝』桓公八年「讎有釁(讎に釁有り)」の杜預注に「釁、瑕隙也(釁は、瑕隙なり)」、『国語』魯語上「若鮑氏有釁、吾不図也(若し鮑氏に釁有らば、吾は図らざるなり)」の注に「釁、兆也(釁は、兆しなり)」と。「藩」は、諸侯の国。「帰藩」とは、黄初三年(222)、東郡太守王機らによって挙げられた罪が不問に付され、その前年に遷されていた鄄城に戻ったことをいう。
○刻肌刻骨 骨身に刻み付けて、衷心から思う。『文選』李善注に引く『孝経鉤命決』に「削肌刻骨、挈挈勤思(肌を削り骨を刻み、挈挈として勤思す)」と。
○罪戻 「戻」も罪の意。『爾雅』釈詁上に「辜、辟、戻、辠也(辜、辟、戻は、辠なり)」と。「辠」は、古の罪の字(郝懿行『爾雅義疏』)。
○夜分 夜半。用例として、『韓非子』十過に「昔者衛霊公将之晋、至濮水之上、税車而放馬、設舎以宿、夜分而聞鼓新声者(昔者 衛の霊公 将に晋に之かんとして、濮水の上に至り、車を税(と)めて馬を放ち、舎を設けて以て宿るに、夜分にして新声を鼓する者あるを聞く)」と。
○天網不可重罹・聖恩難可再恃 「天網」は、天が設けた網。国法をいう。『老子』第七十三章にいう「天網恢恢、疎而不失(天網は恢恢、疎にして失せず)」を念頭に置く。「聖恩」は、皇帝から下される恩恵。王褒「洞簫賦」(『文選』巻17)に「蒙聖主之渥恩(聖主の渥き恩を蒙る)」と。ここに「重」「再」とあるのは、黄初二年(221)、監国謁者潅均に罪を挙げられながら、臨淄侯から安郷侯への降格を経て鄄城侯に遷されるという特別措置により赦免されたことを踏まえる。「責躬」詩(04-19-1)を参照。なお、前掲注に示した黄初三年の出来事は、曹植自身において「誣告」と認識されている。「黄初六年令」(08-02)を参照。
○相鼠之篇・無礼遄死之義 『毛詩』鄘風「相鼠」に「人而無礼、胡不遄死(人にして礼無くんば、胡ぞ遄く死せざる)」とあるのを指す。「遄」は、すみやかに。『爾雅』釈詁上に「寁、駿、粛、亟、遄、速也(寁、駿、粛、亟、遄は、速やかなり)」と。
○形影 姿かたちとその影。「雑詩六首」其一(04-05-1)にも見える。「影」字、底本は「景」に作る。今、『三国志(魏志)』本伝、『文選』に従う。
○五情愧赧 「五情」は、人が持つ五つの感情。『文選』五臣注(劉良)によれば、喜・怒・哀・楽・怨をいう。李善が示す『文子(通玄真経)』に見える「五情」は、現行本(徴明篇)では「人有五位(人に五位有り)」に作り、「五位」について唐・徐霊府は「五常也(五常なり)」と注す。「五常」は、人として常識的な五つの倫理。ここでは文字どおり五つの「情」と捉えておく。「愧赧」は、恥ずかしさで赤面すること。『説文解字』十篇下に「赧、面慙而赤也(赧とは、面慙ぢて赤らむなり)」と。
○古賢夕改之勧 速やかに過ちを改めるよう勧める曾子の教えをいう。『大戴礼記』曾子立事にいう「朝有過夕改則与之、夕有過朝改則与之(朝に過ち有りて夕に改むれば則ち之に与(くみ)し、夕に過ち有りて朝に改むれば則ち之に与す)」と。
○詩人胡顔之譏 前掲の『毛詩』鄘風「相鼠」に詠われた、無礼者がどの面下げて生き続けるのかとの非難。「胡」は「何」に同じ。用例として、同時代の丁廙の「蔡伯喈女賦」(『藝文類聚』巻30)に「我羈虜其如昨、経春秋之十二。忍胡顔之重恥、恐終風之我萃(我が羈虜は其れ昨の如きも、春秋の十二を経たり。胡顔の重恥を忍び、終風の我が萃を恐る)」と。李善は、東晋の殷仲文の「解尚書表」(『文選』巻38)にいう「臣亦胡顔之厚、可以顕居栄次(臣亦た胡顔の厚きもて、以て栄次に顕居す可けんや)」がこの辞句に出るものと注し、ここから「胡顔」の語義を捉えようとしている。
○陛下 天子の敬称。『漢書』巻1下・高帝紀下にいう「大王陛下」の顔師古注に引く応劭『集解』に、「陛者、升堂之陛。王者必有執兵陳於階陛之側、群臣与至尊言、不敢指斥、故呼在陛下者而告之、因卑以達尊之意也(陛とは、堂に升るの陛なり。王なる者には必ず兵を執りて階陛の側に陳(なら)ぶもの有り、群臣の至尊に言ふに、敢へて指斥せず、故に陛下に在る者を呼びて之に告ぐ。卑に因りて以て尊に達するの意なり)」と。蔡邕『独断』巻上にもほぼ同じ内容の説明が見えている。
○徳象天地 『漢書』巻5・景帝紀に引く元年(前156)冬十月の詔に、孝文帝の功績を讃えていう「徳厚侔天地(徳の厚きは天地に侔(ひと)し)」を踏まえている可能性がある。
○恩隆父母 『尚書』洪範にいう「天子作民父母、以為天下王(天子は民の父母と作(な)り、以て天下の王為り)」を踏まえている可能性がある。
○施暢春風・沢如時雨 同じ発想の対句として、『文選』李善注に引く後漢の蘇順の「陳公誄」に「化侔春風、沢配甘雨(化は春風に侔しく、沢は甘雨に配(なら)ぶ)」と。風の性質については、宋玉「風賦」(『文選』巻13)に「夫風者、天地之気、溥暢而至、不択貴賤高下而加焉(夫れ風なる者は、天地の気、溥(あまね)く暢びて至り、貴賤高下を択ばずして焉に加ふ)」、「時雨」については、『呂氏春秋』孟春紀・貴公に「甘露時雨、不私一物(甘露なる時雨は、一物をも私せず)」と。類似句が、「矯志」(04-16)に「沢如凱風、恵如時雨(沢は凱風の如く、恵みは時雨の如し)」と見える。
○慶雲 めでたい雲。『漢書』巻26・天文志に「若煙非煙、若雲非雲、郁郁紛紛、蕭索輪囷、是謂慶雲(煙の若くして煙に非ず、雲の若くして雲に非ず、郁郁紛紛として、蕭索輪囷たり、是れ慶雲と謂ふ)」と。「慶」字、『史記』巻27・天官書は、同音の「卿」に作る。『尚書大伝』(『藝文類聚』巻2)にいう「於時俊乂百工、相和而歌卿雲。帝舜乃唱之曰、卿雲爛兮、礼縵縵兮、日月光華、旦或旦兮(時に俊乂百工、相和して「卿雲」を歌ふ。帝舜乃ち之を唱して曰く、「卿雲は爛(かがや)きて、礼縵縵たり、日月光華、旦或(ま)た旦)」と」を意識するか。ここでは天子のたとえ。『尚書大伝』は、黄節『曹子建詩註』巻1の指摘による。
○七子均養者、鳲鳩之仁也 『毛詩』曹風「鳲鳩」に「鳲鳩在桑、其子七兮(鳲鳩 桑に在り、其の子 七あり)」、毛伝に「鳲鳩之養其子、朝従上下、莫従下上、其均平如一(鳲鳩の其の子を養ふや、朝には上より下り、莫には下より上り、其の均平なること一の如し)」とあるのを踏まえる。
○矜愚愛能者、慈父之恩也 「矜」は、憐れむ。『尚書』泰誓上にいう「天矜于民(天は民を矜れむ)」の孔安国伝に「矜、憐也(矜は、憐れむなり)」と。両句は、『論衡』雷虚篇にいう「父母於子、恩徳一也。豈為貴賢加意、賤愚不察乎(父母の子に於けるや、恩徳は一なり。豈に貴賢の為に意を加へ、賤愚をば察せざらんや)」を念頭に置くか。
○徘徊 うろうろとして立ち去らない。畳韻語。
○自棄 自身をないがしろにする。『春秋左氏伝』成公六年に、晋の士貞伯が、来訪した鄭伯の様子を見て「鄭伯其死乎。自棄也已(鄭伯は其れ死せん。自ら棄つるなり)」と。
○自分 与えられた境遇を自ら甘んじて受け入れる。「分」は、分として甘んじる。
○黄耇 白髪で顔にシミのある者。老人。『毛詩』大雅「行葦」の小序に「能内睦九族、外尊事黄耇(能く内は九族を睦み、外は黄耇に尊事す)」と。
○執圭 「圭」は、諸侯の身分を示す瑞玉。天子から授与され、儀式などの際に手に持つ。『周礼』秋官・大行人に「諸侯之礼、執信圭(諸侯の礼、信圭を執る)」と。
○猥垂歯召 「猥」は、まげて……していただく。謙譲語。「歯」は、記録する。『尚書』蔡仲之命に「降霍叔于庶人、三年不歯(霍叔を庶人に降し、三年歯せず)」、孔安国注に「三年之後、乃歯録(三年の後、乃ち歯録す)」と。「歯召」で、名簿に記して正式に召し出すことをいう。
○至止 朝廷の中枢に到着する。『毛詩』周頌「雝」に「有来雝雝、至止粛粛(来る有り雝雝たり、至止して粛粛たり)」と。
○輦轂 皇帝の乗る車。皇帝を指す。『文選』李善注に引く胡広『漢官解詁注』に「轂下、喩在輦轂之下、京城之中(轂下とは、輦轂の下、京城の中に在るを喩ふ)」と。
○闕庭 宮殿の庭。用例として、班固「東都賦」(『文選』巻1)に「皇城之内、宮室光明、闕庭神麗(皇城の内、宮室は光明にして、闕庭は神麗なり)」と。この語の上に「奉」があるので、ここでは皇帝のいる宮殿への参内をいうか。
○踊躍 躍り上がる。双声語。『毛詩』邶風「撃鼓」に「撃鼓其鏜、踊躍用兵(鼓を撃てば其れ鏜たり、踊躍して兵を用ふ)」と。
○瞻望 はるかに仰ぎ見る。『毛詩』邶風「燕燕」に「瞻望不及(瞻望すれども及ばず)」と。
○反側 思い悩むあまり寝付けず、寝返りを打つ。『毛詩』周南「関雎」に「輾転反側(輾転として反側す)」と。
○犬馬恋主之情 犬や馬が飼い主に抱くような素朴で一途な恋情。『史記』巻60・三王世家に引く霍去病の上疏文に「臣窃不勝犬馬心(臣は窃(ひそ)かに犬馬の心に勝(た)へず)」と。
○冒顔 「犯顔」と同義。目上の人の不興を買うことを恐れずに。用例の多い「犯顔」とは異なり、「冒顔」と熟する例は極めて少ない。「冒」は、向う見ずに押し切るの意。
○誠惶誠恐 衷心より恐れ畏まる。これより以下三句は、臣下から主君への上書の末尾に常用される謙譲の辞。
○頓首 頭を地面に打ちつける敬礼。
○死罪 臣下として、死罪を覚悟して申し上げるの意。『漢書』巻1下・高帝紀下にいう「昧死再拝」の顔師古注に引く張晏注に、秦から漢に踏襲された用語として「人臣上書、当言昧犯死罪而言(人臣上書するに、当に「死罪を昧犯して言ふ」と言ふべし)」と。